日本帰国に際してのスイス職業年金(BVG)払出金への課税

スイスで就労する場合、 職業年金(BVG; Berufliche Vorsorge)に加入し、 年金資産を積み立てる義務があります。 特に企業等に雇用されている場合は、 拠出金は給与から天引きされ、 雇用者負担分と合わせて年金基金(PK; Pensionskasse)の個人口座に積み立てられます。

この年金資産(Altersguthaben)は個人の資産ですが、通常は、年金受給開始年齢に達するまで引き出すことはできません。 ただし年金受給年齢に達する前に退職し、 日本に帰国することになった場合には全額を払い出すことができます。

年金資産は、拠出時に課税されていない [1] ため、 払い出し時に課税されます。 どのように課税されるかについて、 スイスで税務当局が公開している資料と日本の国税庁への問い合わせ結果を元にまとめておきます。

2023年7月 追記

目次

課税地

スイスの企業を退職して日本に移住する場合、 次の手続きを踏みます。

  1. 退職する企業に、 日本に移住するため年金資産の払い戻しを依頼することを通知する。 企業は退職日を過ぎた時点で、年金基金に退職の事実を通知する。
  2. スイス出国の1ヶ月前に居住地の役場(Gemeindehaus, Kreisbüro など)に転出届(Abmeldung)を提出し、 転出届確認書(Abmeldungsbestätigung)を発行してもらう。
  3. 年金基金に、支払依頼書(Notification of withdrawal)と転出確認書の写しを提出し、 年金資産の払い戻しを依頼する。

最終的な課税関係は、 年金資産の払い出しが行われた時点で居住・滞在していた場所に依ります。

根拠法

日本における課税関係

国税庁 タックスアンサー No.2873 非居住者等に対する課税のしくみ(平成29年分以降)

我が国の所得税法では、個人の納税義務者を「居住者」と「非居住者」に、法人を「内国法人」と「外国法人」とに分けた上で、「非居住者または外国法人(以下「非居住者等」といいます。)」に対する課税の範囲を「国内源泉所得に限る」こととされています。

年金資産の払い出しが行われた時点で日本に居住している場合(日本の居住者となっている場合)は、 全世界所得に対して課税されます。 一方、スイスに居住している場合、 日本では日本国内源泉所得に対してのみ課税されるため、 スイスの年金基金から払い出された年金資産に対しては課税されません。

滞在地日本での課税有無
スイス(転出届提出〜出国まで)無し
日本有り

スイスにおける課税関係

転出届の提出後はスイスでは非居住者扱いとなりますが、 BVGの年金資産払い出しはスイス国内源泉所得であるため、 原則としてスイスでも課税されます。

ただし、払い出し時にすでに日本に居住している場合、 日本とスイスは二重課税を防止するための租税条約を結んでいるため、 申請することでスイスで支払った税金は全て還付されます。

Merkblatt des kantonalen Steueramtes über die Quellenbesteuerung privatrechtlicher Vorsorgeleistungen an Personen ohne Wohnsitz oder Aufenthalt in der Schweiz

D. Vorbehalt der Doppelbesteuerungsabkommen

I. Allgemeines

1. Kapitalleistungen

Unterhält aber der Staat, in dem die Empfängerin bzw. der Empfänger Wohnsitz hat, ein Doppelbesteuerungsabkommen mit der Schweiz, steht die Besteuerungskompetenz in der Regel dem Wohnsitzstaat zu. Der Quellensteuerabzug ist in diesen Fällen nicht definitiv, sondern der steuerpflichtigen Person steht ein Rückforderungsanspruch zu (vgl. nachfolgende Tabelle im Anhang B)

滞在地スイスでの課税有無
スイス(転出届提出〜出国まで)有り(源泉徴収される)
日本無し(源泉徴収されるが全額還付される)

税額

以下、1スイスフラン=150円で計算しています。

スイス出国前に年金資産の払い出しを行った場合

スイスで転出を届け出た後にBVG年金資産の払い出しを受けた場合、 年金基金が個人の年金資産から源泉徴収税(Quellensteuer)を天引きし、 残額を支払います。

源泉徴収税額は年金資産額、ならびに年金基金の所在地の州に基づいて計算されます。 管轄の州によっては婚姻状態を計算に入れる場合もあります。

年金基金がチューリッヒ州にある場合の税額例

Merkblatt des kantonalen Steueramtes über die Quellenbesteuerung privatrechtlicher Vorsorgeleistungen an Personen ohne Wohnsitz oder Aufenthalt in der Schweiz

C. Steuerberechnung (Staats-, Gemeinde- und Bundessteuern)

I. Kapitalleistungen

b. für Kapitalleistungen von Fr. 150 000.- bis Fr. 900 000.- Die Steuer setzt sich zusammen aus Fr. 10 225.- auf den ersten Fr. 150 000.- gemäss Tabelle und 8,60 % auf dem Fr. 150 000 übersteigenden Teil der Kapitalleistung. n Fr. 750 000.- 8,60 %

年金資産が 150,000〜900,000 SFr の場合、 資産の内で最初の 150,000 SFr に対する税額が10,225 SFr、 それ以降の分は 8.6 %の税率が適用されます。

仮に年金資産の額を 200,000 SFr(約3,000万円)とすると、 源泉徴収税額は $$ 10,225 + (200,000-150,000) \times 0.086 = 14,525 $$ で、14,525 SFr(約220万円)となります。

年金資産の額が倍の 400,000 SFr(約6,000万円)とすると、 源泉徴収税額は $$ 10,225 + (400,000-150,000) \times 0.086 = 48,925 $$ で、31,725 SFr(約476万円)となります。

年金基金がシュヴィーツ州にある場合の税額例

Merkblatt Quellenbesteuerung privatrechtlicher Vorsorgeleistungen an Personen ohne Wohnsitz oder Aufenthalt in der Schweiz

3. Steuerberechnung

3.1. Kapitalleistungen

3.1.2. Für verheiratete Personen

  • Auf dem Betrag bis CHF 25'000 2.50%
  • Auf dem Betrag über CHF 25'000 bis CHF 50'000 2.70%
  • Auf dem Betrag über CHF 50'000 bis CHF 75'000 3.00%
  • Auf dem Betrag über CHF 75'000 bis CHF 100'000 3.40%
  • Auf dem Betrag über CHF 100'000 bis CHF 125'000 3.75%
  • Auf dem Betrag über CHF 125'000 bis CHF 150'000 4.50%
  • Auf dem Betrag über CHF 150'000 bis CHF 900'000 5.10%
  • Auf dem Betrag über CHF 900'000 4.80%

これは婚姻している場合の税率表ですが、 最初の 25,000 SFr には 2.5%、次の 25,000 SFr には 2.7% ……という税率が適用されます。 資産の内、最初の150,000 SFr に対する税額が 4962.5 SFr で、 それ以降の分には(900,000 SFr まで)5.1% の税率が適用されます。

仮に年金資産の額を 200,000 SFr(約3,000万円)とすると、 源泉徴収税額は $$ 4,962.5 + (200,000-150,000) \times 0.051 = 7,512.5 $$ で、7,512.5 SFr(約113万円)となります。

年金資産の額が倍の 400,000 SFr(約6,000万円)とすると、 源泉徴収税額は $$ 4,962.5 + (400,000-150,000) \times 0.051 = 17,112.5 $$ で、17,112.5 SFr(約266万円)となります。

日本入国後に年金資産の払い出しを行った場合

日本の税務署経由で国税庁に問い合わせたところ、 スイス現地採用の人間が退職金受給年齢を待たず、 日本入国後すぐにBVGの年金資産の払い出しを受けた場合、 払い出された金額全額を「見なし退職金」として課税すると回答がありました。

BVGと似た制度として、米国401kがあります。 米国人が日本法人勤務時に米国401kに拠出した分については、 米国では非課税であっても日本では給与課税されるという裁決 [2] が出ています。 この人が日本居住者である間に401kから一時金として払い出しを行うと、 払出金は日本では一時所得として課税されますが、 その際に拠出金分は「収入を得るために支出した金額」として所得から控除されると推定されます (拠出時に給与所得として課税済みのため、払い出し時にも課税すると二重課税となるため)。

このケースからの類推でBVGでも拠出金を所得控除できるかと期待したのですが、 少なくとも私のケースでは認められませんでした。 私のケースでは拠出金は日本では一切課税されていないので、 妥当だとは思います。

国税庁 タックスアンサー 退職金と税

退職金に対する所得税(国税)と住民税(地方税)は、 次の手順で計算されます。

  1. 退職金と勤続年数から課税退職所得金額を計算する。 $$ 課税退職所得金額 = (退職金額 - 退職所得控除額) \times \frac{1}{2} $$ なお退職所得控除額は勤続年数20年以下の場合は $40万円 \times 勤続年数$ で計算されます。
  2. 住民税額は、課税退職所得金額に対して一律10%で計算する。
  3. 所得税基準額を次の表に従って求める。
    A 課税退職所得金額B 税率C 控除額
    1,000円から1,949,000円まで5%0円
    1,950,000円から3,299,000円まで10%97,500円
    3,300,000円から6,949,000円まで20%427,500円
    6,950,000円から8,999,000円まで23%636,000円
    9,000,000円から17,999,000円まで33%1,536,000円
    18,000,000円から39,999,000円まで40%2,796,000円
    40,000,000円以上45%4,796,000円
  4. 所得税額は所得税基準額に 1.021 を乗じて求める。

なお退職所得は分離課税なので、 同一年に退職所得以外の所得があった場合でも税率が上がることはありません。 また翌年の国民健康保険料などの算定にも影響しません。

税額の例

仮に勤続年数10年、 年金資金払い出し額を3,000万円とすると、 課税退職所得金額は次のようになります。

$$ 課税退職所得金額 = (3,000万円 - 40万円 \times 10年) \times \frac{1}{2} = 1,300万円 $$

所得税額は表から約275万円、 住民税額は所得の10%なので130万円で、 合計約405万円となります。

年金資金払い出し額が倍の6,000万円になると、 次のようになります。

$$ 課税退職所得金額 = (6,000万円 - 40万円 \times 10年) \times \frac{1}{2} = 2800 万円 $$

所得税額は約840万円、 住民税額は280万円で、 合計1,120万円となります。

税額比較

年金資金払い出し時の滞在地と、 年金基金の所在地による納税額・実効税率をまとめると次のようになります。

年金資金払出額スイス出国前
チューリッヒ州
スイス出国前
シュヴィーツ州
日本入国後
3,000万円220万円
(7.3%)
113万円
(3.8%)
405万円
(13.5%)
6,000万円476万円
(7.9%)
266万円
(4.4%)
1,120万円
(18.7%)

日本は退職金に関しては勤続年数に応じた控除があり、 また課税退職所得金額を計算する際に金額を $\frac{1}{2}$ にするなどの軽減措置はありますが、 それでも退職金控除額に比べて払い出し額が大きいと税額は高くなりがちです。

現状で支払い税額を減らし手取り額を最大化することを考えると、 スイスで転出届を提出したら速やかに年金資産の払い戻し手続きを行い、 スイスに源泉徴収税の形で納税するのが良さそうです。

年金基金は雇用者が選択するため、 従業員として雇われている場合には選択の余地がありません。 しかし退職した場合には、 それまで年金基金に積み立ててきた年金資金を、 自身が選んだ既得給付金基金(Freizügigkeitsstiftung)に移すことができます。

勤務先企業が契約している年金基金が税率の高い州を本拠地としている場合、 退職後、 まずは税率の低い州に本拠地をおいている既得給付金基金(Freizügigkeitsstiftung)に年金資産を移し、 それから海外転出に伴う払い戻し手続きを行うことで、 納税額を抑えることができそうです。


  1. 年金資産の従業員拠出分は所得控除の対象となり、雇用者拠出分は損金算入できる。(BVG Art. 81 Abzug der Beiträge

  2. (平10.6.25裁決、裁決事例集No.55 76頁)