読書記録: 世界の言語と日本語 改訂版

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外国語 読書記録
書名世界の言語と日本語 改訂版 言語類型論から見た日本語
著者角田太作
出版社くろしお出版
ISBN978-4874244487

日本語と文法の再発見

文法を中心とする言語学の入門書ですが、 表面的な文法の解説にとどまらず、 その奥底にある統一的な原理を垣間見せてくれます。 日本語についても言語類型論の知見からその特徴を再検討し、 世界の言語における位置づけを検討し、 俗説とは異なる結論にたどり着いています。

決して簡単な本ではなく読み通すのは骨が折れましたが、 ページをめくる度に新たな発見があり楽しかったです。 読んで目から鱗が数枚落ちました。

言語類型論とは

言語を研究する場合、 歴史的経緯や地理的分布をもとに系統を明らかにして差異を調べる方法と、 それぞれの言語が持つ文法的特性を調べて比較検討する方法があります。 本書の副題にある「言語類型論」というのは、 この後者の方法で言語を調べる学問です。

文法的特性というのは、たとえば文章における単語の順序。 日本語では通常「誰が」「何を」「どうした」という順番になるのに対して、 英語やドイツ語では「誰が」「どうした」「何を」となります。 これだけなら一見して明らかで、単に「日本語と英語は違う」で終わる話ですが、 複数の言語を比較検討すると、 更にその背後に潜むより深い統一的な規則が見えてくることがあります。

普遍的な文法規則

本書では、 まず語順と格ついて触れた後、 第4章から第7章で言語類型論を研究する過程で発見された下記の文法規則について解説しています。

  • シルバースティーンの名詞句階層
  • 他動性
  • 二項述語階層
  • 所有傾斜

この文法規則自体を知ることも面白いのですが、 これらの概念を理解することで母国語である日本語に対する理解が深まったことが意外でした。

言語に関する研究では質量ともに英語を対象としたものが圧倒的ですが、 著者はオーストラリア原住民言語の専門家ということもあり、 英語やその近縁言語にのみ妥当する内容を無理に日本語に適用するようなことはありません。 真に普遍的な文法規則を探り、 その知見を踏まえて日本語を一段深い視点から分析しています。

他動性

たとえば他動性ですが、 これは動詞の基礎的な分類である「他動詞」「自動詞」について再検討したものです。 他動詞と自動詞は、おおよそ次のように定義されています(書籍 p.67)

  • 他動詞文には目的語がある。動作が主語から目的語に向かう。
    • ブルータスがシーザーを殺した (5-1)
    • 私は彼を殴った (5-2)
    • ジョンがメアリーを見た (5-3)
    • ジョンはたくさん本を持っている (5-4)
  • 自動詞文には目的語がない。動作は何にも向かわない。
    • 彼は座った (5-5)
    • キムが昨日死んだ (5-6)

また日本語ではナイーブには文中の「〜が(は)」が主語、「〜を」が目的語とされます。

一見すると問題ないように見える定義ですが、 よく考えると (5-3) や (5-4) ではなんの動作もありません。 あえて言えば (5-3) で動いているのは、メアリーで反射された環境光です。

また私が知っている事例だと、 日本語では他動詞文になるのに、 ドイツ語では目的語をとらない文になることもあります。 また日本語で「〜を」となる部分を、 異なる格で書き直すことが可能な場合もあります。

| 日本語1 | 私はその料理 気に入っている。| | 日本語2 | 私はその料理 気に入っている。| | ドイツ語 | Die Speise gafällt mir.
料理(主格) 気に入る(動詞・三人称単数現在形) 私(与格) |

これに対して本書では、 他動詞と自動詞は二分できるものではなく、 原型的な他動詞と自動詞の間に「原型的他動詞に近い(他動性が高い)動詞」から「原型的自動詞に近い(他動性が低い)動詞」までグラデーションのように広がっていることを明らかにしています。

他動性という概念が有効なのは、 動詞の他動性は言語によらず共通であり、 また他動性の高さによって、その言語で特定の表現が可能であるかが決まるためです。

  • 日本語であれば、他動性が高いと目的語は必ず「を格」になるが、低くなるに従って「が格」なども可能になる。
  • 受け身表現がある言語では、他動性が高いと受け身表現が可能になる。

個別の言語を見ていくと、 他動性が実際の言語表現に与える影響は異なります。 たとえば、 ある言語では極めて他動性が高い動詞でも受け身表現が不可能なのに対して、 別の言語では多動性が低い動詞でも受け身表現ができる場合があります。 しかし、その場合でも受け身表現ができる境界が異なるだけで、 「他動性が高いと受け身表現が可能になる」というルール自体は有効です。

他動性という概念に触れた後で日本語を見直してみると、 今まで上手く説明できなかったことの多くがクリアになることに気づきました。

基礎的な文法項目の再発見

第8章では文法の基礎的な項目を振り返り、 整理しています。 私はこれを読んで、 一知半解だった知識をきれいに整理できました。

特に、 英語やその近縁の言語に固有の概念を無理に日本語に当てはめようとして混乱しているケースがあることが分かり、 また例外が多すぎて実用上の意味がないと思っていた概念が正しく使用すると多くの文法項目を整理でき、 実は有用だったのだと再確認。

英語を学習すると、 まず「主語」「目的語」といった概念を習い、 すべての文は次のいずれかの文型をとると説明されます。

  • SV 主語+動詞
  • SVC 主語+動詞+補語
  • SVO 主語+動詞+目的語
  • SVOO 主語+動詞+直接目的語+間接目的語
  • SVOC 主語+動詞+目的語+補語

そして、主語は

  • 日本語で「〜が」に相当する
  • 動作の主体
  • 英語だと代名詞が主格になるもの(私なら I)

目的語は

  • 日本語で「〜を」に相当するもの
  • 動作の対象
  • 英語だと代名詞が対格になるもの(私なら me)

と教わります。

これで何となく分かったつもりになるのですが、 良く考えると例外が多数あることに気づきます。たとえば、

「お父さん から 太郎 小言をおっしゃってくださいよ」 (書籍 p.184 の例を改題)

という文は、

  • 動作の主体は「おとうさん」だが「〜が」ではなく「〜から」
  • 動作の対象は「太郎」だが「〜を」ではなく「〜に」

と、上の定義に一致しません。

文法の整理

本書では、 文法分析を次の四つのレベルに分類することで問題を整理しています。

レベル定義
意味役割文の中にある名詞、代名詞、副詞等が表す意味を、主に動詞との関係で分類したもの動作者、対象、受取人、受益者、感情・間隔の持ち主、所有者、仲間、行き先、出発点、場所、時間道具など
名詞、代名詞、副詞等の形主格、属格、対格など
英語: I, my, me
日本語: 私は、私の、私を
情報構造文の表す内容主題、評言
日本語: 「〜は」
統語機能名詞、代名詞、副詞等の、文中での役目、働き、振る舞い、使い方による分類主語、目的語、副詞句、呼びかけ語など

前節の説明では

  • 意味役割が動作者であること。
  • 格が主格であること。
  • 統語機能が主語であること。

を同一視しています。

しかしながら、 これらは異なるレベルに属するため必ずしも一致するとは限らないこと、 また意味役割や情報構造に関しては言語と独立して考えられるものの、 格や統語機能は各言語に固有であることを具体例とともに解説しています。

なお日本語における主語は、次の条件を満たすものとして定義されます。

  • いわゆる尊敬語の動詞の先行詞になれる
  • 再帰代名詞「自分」(または「自分自身」)の先行詞になれる。
  • 継続の「〜ながら」を含む文で、主節と従属節で対応する。
    • 例: 私は野球を見ながら食事をした。
      「私」が「野球を見る」「食事をする」両方の主語となる。
  • 数量詞が遊離する

私にとっては意外な定義方法でしたが、 確かにこれを踏まえて既存の文を見直すと「主語」というものが明確に定義でき、 そうして定義した「主語」に共通する固有の振る舞いがあることが確認できました。

主語も他動性と同様、 グラーデーションがあります。 より原型的な主語は上の条件を多く満たす一方で主語固有の振る舞いを多く行い、 条件を少数しか満たさない主語は主語としての振る舞いも限定的になります。

日本語は特殊で、英語は普遍的な言語なのか?

最後に、言語類型論の知見を元に日本語と英語の文法的特徴を他の言語と比較し、 日本語が特殊な言語で英語は普遍的なのかを検証するとともに、 言語教育への提言をしています。

日本語が特殊な言語なのかどうか、 結論は読んでのお楽しみということで。

補遺: 生成文法について

本書を読んだ結果として、 これまで強力な言語学の理論だと思っていた生成文法に対する認識が、 少し変わりました。

生成文法は元々は自然言語に関する理論ですが、 形式言語とも相性がよく、 プログラミング言語の設計にも大きな影響を与えています。

生成文法は理論の形式的な美しさとともに、 (ソフトウェアエンジニアなので、その威力の程を痛感している)実用上の成果もあり、 言語の本質を把握する強力な理論だと感じていました。 しかしながら実際には英語に近い一部の言語に現れたルールを形式化したもので、 そこまで普遍的なものではなかったのかもしれません。

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